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木澤歯科医院
歯科医院らしくない
地元の人々の憩いの場
東日本大震災ですべてを失った木澤歯科医院。仮設診療所での診療を経て、2011年9月1日に新規開業にこぎつけた。「海」をコンセプトに歯科医院らしくない歯科医院を目指した同医院は、治療の場であるとともに、仮設住宅で暮らす人々の憩いの場にもなっている。
全壊から仮設を経て再開
リアス式で有名な日本の景勝地、「三陸海岸」のほぼ中央に位置する岩手県山田町。船越半島と重茂半島に挟まれた山田湾は“海の十和田湖”と言われており、波が穏やかなことを特徴としている。カキやホタテの養殖が盛んなことでも知られる、自然に恵まれた町だ。そんな山田町も東日本大震災では津波の被害を受け、湾岸沿いの国道近くで開業していた木澤歯科医院は全壊した。
隣町の宮古市出身の木澤貴洋先生が、山田町で開業したのは13年前の1999年。当時は、昔に受けた治療がトラウマとなって歯医者を嫌う患者が多く、傷みがひどくなってからようやく来院するというケースがほとんど。そのような状況の中、「痛くない」「患者を責めない」を診療方針に掲げ、治療を行いながら、フッ素塗布や定期検診といった予防歯科の普及に力を注いできた。ところが、その取り組みが実を結びはじめたころに東日本大震災が発生。山田町に5軒あった歯科医院のすべてが被災した。仮設診療所での診療となった木澤先生はいつも「行き場を失った患者さんたちのためにも、いち早く医院を再開したい」という強い思いがあったのだという。そして、木澤先生の患者を思う気持ちに共感した地主さんや学生時代の友人ら周りの人々の協力もあり、被災からわずか半年後の医院再開を実現した。
山田魚市場が再開したり、山田せんべいの材料で作ったクッキーやロールケーキを販売するお店がオープンしたり、少しずつ以前の生活を取り戻している山田町。
誰もが快適な診療環境をつくる
新生・木澤歯科医院のコンセプトは「海」。待合室のソファから診療室のユニット、そしてカーテンなどのファブリックに至るまで、海の復興を願ってマリンブルーを使用した。待合室には自宅さながらの座敷があり、コーヒーやお茶が飲める。そこに、歯科医院の雰囲気は感じられない。そう、これが歯医者を嫌う患者にも来院してもらいたいと願う木澤先生の狙いなのだ。
再開後は、震災前より患者数が増えることを予想して、マイクでの患者呼び出しを取り入れることで、スタッフの負担軽減を図った。
診療室は4ブースを用意している。そのうち3つが半個室タイプで、プライバシーを守りつつ快適な空間を実現した。ユニットは、イオム レガロ。「カート・ステップチェアタイプを導入しました。可動範囲が広いため診療中の移動が容易で、ストレスがありません」。患者が窓側を向くように設置しており、正面に窓があると気持ちがいいと、患者の評判も上々だ。
壁一面の窓から差し込む自然光が診療室をやさしく包み、震災前の自然に囲まれた山田町を再現したような空間となっている。陽当たりの良い日には、診療中に眠ってしまう患者もいるとか。診療室に振られた番号は、以前、ジーシー・サークルで紹介されていた歯科医院を参考にしたもの。
地元の人々の憩いの場として
「狭い仮設住宅での暮らしは息が詰まるものですから、診療を待っている間くらいはくつろいでもらいたいと思っています。よく来る患者さんには、お茶だけでもいいからおいでよと、声をかけているんですよ。」 木澤歯科医院は、地元の人々の憩いの場としても親しまれている。
入り口から院内までオールバリアフリー。待合室に入ると左手には自宅さながらの座敷がある。お年寄りは好んでここに座る。待合室と診療室の間にはX線室がある。デジタルパノラマX線撮影装置プロワンが導入されている。
スタッフは、歯科衛生士とアシスタントで計7名。全員被災したが無事だった。毎日、笑顔で患者さんに接している。奥様の木澤純子先生(前列右から2番目)は小児を中心にご診療にあたられている。
院長 木澤貴洋 先生
スタッフは、歯科衛生士とアシスタントで計7名。全員被災したが無事だった。毎日、笑顔で患者さんに接している。奥様の木澤純子先生(前列右から2番目)は小児を中心にご診療にあたられている。
院長 木澤貴洋 先生