私は、1958年に大学を卒業して直ちに母校の助手として採用されたので、当初は学生時代の延長のようなものであった。その後、約9年間が経過した頃に急浮上したのは、他大学への転任の話であった。当時、歯科医師が将来的に不足する傾向にあるとのことで、厚生省・文部省は国立の三大学(東北、新潟、広島)に定員四十人の歯学部を増設することを決めた。教官については、その殆どを東京医科歯科大学と大阪大学歯学部が供給することになり、人選が行われた。私に関しては、学生時代からお世話になり、ご指導頂いていたY助教授が東北大学の歯学部教授に就任することになり、お誘いを受けて助教授として転出することになった。
東北大学の職員になって感じたことは、組織の大きさと、歴史の重みであった。特に東北大学は、明治維新以来、国にとって有用な人材を育成する目的で設立された旧帝国大学の一つであり、東北地方の研究・教育のメッカでもあった。
当時、東北大学としては、新たに歯学部を開設するにあたって、既存大学の歯学部に引けを取らない学部を設立するという意欲に燃えていたように思う。
したがって、事務職員との折衝の際、医科歯科大学の例を持ち出すと、必ず返ってくる言葉があった。それは、ここは七帝で、組織や機構が医科歯科大学のような単科大学とは違いますということであった。
あるとき、事務官の本質を知る機会があった。それは、実習室で研磨機を載せる台が必要になり、教授の命令で会計の掛長に要求した時のことである。返ってきた返事は、予算がないから調達不可能であった。そのやりとりの最中にたまたまT事務長が現れ、私の要求の内容を掛長に質問された。説明を聞いた後、T事務長は掛長におおよそ、この様に言われた。「ここは学部であり、学生の教育が我々職員の任務である。事務官の役割は、教官の研究・教育が支障なく行われるよう支援することである。その教官が、教育に支障が出ると訴えているのだから、君はその事態を解決する為に全面的な協力をすべきで、機器を載せる台が必要とのことであれば、そのためには、君が現在使用している机を当てても良いのだ」と言われた。そこで直ちに、図書室にある机を提供するように命令し、一件落着した。
このT事務長の対応を目の当たりにし、私もこのような事務官が居ることを忘れず、教官としての自分の役割を十分認識し、職務に邁進しなければならないと決意した。
もう一つは、事務に物品購入の伝票を記入して持って行った時のことである。対応した事務官は、このようなことは、私どもの仕事で、先生方のお仕事ではありません。必要な物品があれば、私どもに直接命じて下されば、こちらで手配します。更に付け加えて、先生方は、このようなことに時間を使わず、その分の時間は、研究・教育に当てて下さい、と言われた。まさにその通りのことで、赤面の至りであった。
近年、官僚の批判が話題になっているが、このような方々が日本を支えていることを忘れてはならない。