“鉄棒に礼”キャプテンの声が体育館に響き渡る。“よろしくお願いします”部員は大声で鉄棒に向かいお辞儀する。キャプテンが“まず井上。逆手大車輪からはじめろ……”“はい”と勢いよく鉄棒に飛びつく。“井上、足が離れてるぞ。もっと膝を絞めろ”と部長からの指示。“はい”と大車輪をしながら答える。鉄棒から降りると、部長の前で直立不動の状態で注意を受ける。中学・高校時代器械体操部に所属し、体育会系の厳しさを教わった。しかし、インターハイや国体の予選で失敗しても、部長とキャプテンに怒られた記憶はない。また高校3年の大事な試合を控えた練習中、着地の練習でアキレス腱を断裂してしまった。当時は整形外科もなく、一般外科にて手術、2週間の入院を余儀なくされた。試合に出られない悔しさと病院内での孤独とむなしさの中、部長から手紙が届いた“井上の悔しさは良くわかる。しかし、高校時代のこの大切な時期に2週間も考えられる時間を与えられた……と考えてはどうだ。将来のことも……”とあった。当時、体育大に進学しようと部長に相談していた自分は、この手紙で歯科大学への受験を決めた大切な大切な恩師である。部長は私が体育大に進学しても大成しないことを知っていたに違いない。
“井上、防具もって来い”“井上、防具つけろ。蹴るぞ……”“井上、掃除しとけ”“井上……”と先輩達の声が鳴り止まない道場である。大学時代は少林寺拳法部に所属し、先輩は天皇、神様、仏様であった。そして自分が幹部となり、四段を取得し総本山に出かけると、三段以下の拳士達は、私に道を譲り、挨拶し、尊敬していったのである。当時少林寺拳法は、胸章により段位と役職がわかるようになっていた。少林寺の試合の時、負けてもやはり部長やキャプテンに怒られた記憶はない。
現在自分が患者に医療面接を行うときに、中学、高校、大学を通じて体育系のクラブにいた学生時代の12年間の体育系の教えが役立っていることは間違いない。OSCEなる新しい臨床評価機構ができあがり、模擬患者なるボランティアが活躍する医科歯科教育の中で、本当に必要なものは運動部に入ることのように思えるのである。“どうなさいましたか”、みれば患者は頬を押さえている。痛いに決まっている。“今痛いんですね”と共感が求められる。患者は、共感されてもうれしいわけがない。そして教官には“駄目じゃないか。患者は……なんだぞ……”と怒られる。アキレス腱を切って試合に出られない悔しさは同じ釜の飯を食った部員なら誰でもわかる。そんな人間に“アキレス腱切ると痛いんだよね”などと聞く部員は一人もいない。“井上の分まで、俺が頑張るから……”である。必要最低限の質問をして、早く痛みを止めることを約束することが医療面接のように思う。患者を安心させるためにも……。
本音としては、医療面接を必修カリキュラムにするくらいなら、体育系のクラブに所属することを必修科目にすれば……と思うのである。