日本の自宅でテレビを観ながら晩ご飯を食べていると、台湾の知人や親戚からメールやフェイスブックで次々と連絡が入った。
「あなたのことテレビで観たわよ」「すごいね、テレビでたくさん出ていたよ」「ご家族の写真が映っていて懐かしかったわ」
なんだかみんな興奮しているが、こちらはまったく身に覚えがない。よく聞いてみると、台湾のテレビ局が『一青妙?家族謎團(一青妙が解き明かす家族の謎)』というタイトルの特別番組を2週にわたって放送していたのだ。取材もされていなければ、連絡も受けていない。そもそも私の家族に謎なんてないのに、と思いながらYouTubeにアップされた番組を観た。
発端は、2012年に書いたエッセイ『私の箱子』(講談社)にあった。この本は、翌年台湾でも翻訳出版された。
父の家系は台湾の九?という場所で金鉱を営み、最盛期は東洋一の産出量を誇ったほど栄えた。台湾では五大家族と呼ばれる財閥の一族となり、いまでもそれなりに広く知られている。父方の姓である「顏」を名乗れば、多くの台湾人から「あの顔家の方ですか」と聞かれることが多い。
『私の箱子』の内容は、一族の長男として生まれた父のことや私が幼少期に過ごした台湾での生活、日本人として特殊な家族に嫁いで苦労した母のことが中心だが、私が見聞した顔家の内幕にも触れていた。
その内幕とはこんな話だ。最近の顔家は早く亡くなった父のあとを継いだ叔父が総帥として長く君臨していたが、数年前、不透明な経営を問いただされ、他の役員たちによる「クーデター」が起きた。実は私も役員の一人としてクーデター派を支持し、叔父は退任に追い込まれた。その一部始終を本で再現ドラマのように描いたのである。
その結果、『華麗なる一族』とまではいかないが、顔家のお家騒動として台湾マスコミの格好の餌食となってしまった。番組では本の内容を細かに分析し、何人ものコメンテイターがまるで私の知り合いのように私の心情を勝手に推測し、あれこれ語っていた。
この番組が放送される前にも、台湾で一番売れている週刊誌から取材され、亡き父や現在の顔家について簡単に話しただけなのに、記事は6ページの特集となり、私の写真が表紙を飾った。ほかにも『徹子の部屋』台湾版のような番組や、ドキュメンタリー番組にも出演した。
九州くらいの大きさの台湾の地で、約3ヶ月にわたって頻繁にメディアに露出していたため、瞬間的にちょっとした「時の人」となった私。
台湾の飛行場にパパラッチがいるかもしれない。もうスッピンで観光ができない。サングラスも必需品になるであろう。レストランではサイン攻めにあうかもしれない……。
番組を観ながらそんなことを一人でぐるぐると頭の中で想像し、ニヤニヤ心配していると、「実際にそうなってから心配したら」と家族に冷たく言われ、あっという間に現実に引き戻された。
その後、台湾に行ってみたが、何も起きなかったのは言うまでもない。