歯科医師の技能教育と器用・不器用

No.133

歯科大学に入学した多くの学生が、最初に遭遇する歯科らしい実習は「歯型彫刻実習」である。

 この実習の目的は、歯牙解剖の形態学とは別に、各々の歯の歯冠形態を自ら彫刻させることによって立体的に理解させ、歯冠修復治療などの臨床に役立たせようとするものである。その教育方法としては、指導教員が石膏ブロックを用いて対象とする歯の形態の部分的な特徴を示しながら、削り出していく方法を具体的にデモンストレーションで示し、学生に同じ歯を彫刻させる、といった方法が多く採られている。

 この実習が開始されると、上手に彫刻できない学生は悩みながら、自分に不器用というレッテルを貼って、努力することをあきらめてしまう例が多い。

 この「歯型彫刻」は、歯科医師が保有すべき基本的な技能の一つであり、かつて歯科医師国家試験の実地試験で必須項目の一つとしても採り上げられてきた。

 ここで、生来の不器用と称している学生は、手・足の動きといった身体的能力が基本的に劣っているか否かを検討してみると、健康な成人であれば、日常生活で必要とする身体的能力には殆ど個人差がない。また、我々日本人であれば物心がついた頃より毎日使い続けている箸の使い方についても、成人の同じ年代の人で比較すれば、箸を使ってきた期間も変わらないので、器用不器用に関係なく使用できる。

 しかし、歯型彫刻が上手にできない学生は、この実習を行う上で必要とされる、刃物を使用して鉛筆を削るような技能を十分に保有していないように思われる。

 しかし、このような技能は、今から一世代か二世代前の人たちであれば、日常生活の中で十分身についている技能である。したがって、削る対象が鉛筆から歯の形状に替わるだけであり、「歯型彫刻実習」も抵抗なく受け入れられたはずである。ところが、現代の学生たちが育った家庭環境の中では、鉛筆を削るといった作業はほとんど必要とされていない。その結果、ナイフで鉛筆を削るといった体験もない状態で歯科大学に入学する者も多い。このような学生にナイフと石膏棒を渡し、担当の教員が歯を彫って見せ、このように彫れと言われても、上手にできないのが、当たり前である。そこで、自分は不器用だから上手にできないと決め込んでしまうことになtestる。

 この解決策として、「歯型彫刻実習」を含めて各講座の模型実習が始まる前に、実習で使用する基本的な小器具の正しい持ち方と使い方を教育すると共に、上手にできないのは、不器用な為ではなく、経験と訓練が不足している為であることを理解させ、上手にできない学生は時間外にも自分で訓練する必要のあることを指導する。

 何故このような状態が生じたか考えてみると、パソコン、携帯電話、インターネットといったIT化による生活環境の急速な変化が挙げられる。したがって、最近の若い人たちは日常生活の中で、筆記用具は鉛筆の代わりに削る必要のないボールペンやシャープペンシルを使用し、文字を書かずにワープロや携帯電話の電子メールを使用している。

 このように社会が変革して行く中で、優れた技能を持った歯科医師を育成する為には、従来の教育方法にとらわれることなく、現状に合わせて能率的な教育方法を柔軟に取り入れていく必要がある。

著者

内山 洋一

北海道大学名誉教授・北海道医療大学客員教授
(うちやま・よういち)

内山洋一 (うちやま・よういち)

1934年生まれ。1958年東京医科歯科大学歯学部卒業。7月同大学歯学部歯科補綴学教室助手。1964年同講座講師。1967年東北大学歯学部歯科補綴学第一講座助教授。1971年北海道大学歯学部歯科補綴学第二講座教授。1997年同大学名誉教授。同年北海道医療大学客員教授のほか多くの大学・講座で教鞭を取り現在に至る。また日本補綴歯科学会をはじめ日本医用歯科機器学会、日本接着歯学会、日本歯科審美学会、日本顎顔面補綴学会、日本顎関節学会などで会長、理事、評議員などを務める。近年の研究テーマは「歯科医療の質的向上と省力化・システム化、(CAD/CAMシステムの臨床応用)」。趣味は、ライカ等のカメラいじりである。