No.139

太平洋戦争(大東亜戦争)が昭和20年(1945年)に終結し、日本はその後6年を経て米国、英国の主導の下、サンフランシスコで開催された、日本を含む52ヶ国が参加した対日平和条約締結のための国際会議で、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く49ヶ国が署名し、独立国としてtestの立場を得て現在に至っている。現実には、北方四島、竹島、尖閣列島などの領土問題や、沖縄の米軍基地の問題等が未解決である。これらの問題を解決するためには、お互いの国の歴史観に立った歴史認識が重要とされている。この歴史観は、自身の体験や、祖先から伝承した事柄などによって形作られることが多い。

 日本は単一民族によって構成されている国家と言われているが、義務教育の普及によって我々日本人の間では、他人であっても、お互いが共通な歴史観等を共有していることが多い。その例として、夫婦間の会話になると、共有している経験が多いので、「あれ」とか「なに」といった言葉にならない言葉で会話が成り立つことが多い。

 日本語には過去の敵対関係を解消する言葉として、「昨日の敵は今日の友」とか、「過去を水に流す」といった言葉があり、お互いを許し合ってきている。しかし、この考え方は「目には目を」といった考えを持つ民族には、通用しないかもしれない。私の数少ない経験では、日本人に比べて欧米人の方が孫、子の代まで恨みを引き継ぐ傾向は強いようである。

 これについて感じたことは、1991年に勃発した湾岸戦争の時である。この戦争は、イラク軍がクエートに侵攻したことに対し、米国及び英国を中心とする西側諸国が、国連の名の下に多国籍軍を結成し、イラクに対し開戦したものである。私は、また中東の地で局地的な戦闘が始まった程度に考えていた。ところが、当日の朝、大学で院生のバングラディッシュの留学生C君に会うと、彼は私に興奮した面持ちで、この戦争に対し国連のイラクへの対応は、アンフェアだと言った。何故か、と尋ねると、「第二次世界大戦」が終結した後、ナチスの迫害から生還したユダヤ人達は自分達の国を求め、1948年にパレスチナの地にイスラエルを建国した。しかし、このことは、周囲のアラブ人達に対しては、明らかな侵略行為であり、当然、国連が介入すべき事件であったと思うが何もしなかった。しかるに、今回はイラクに対し国連の名の下に米国および英国を主体とした多国籍軍が編成され、軍事介入していることは、国連として公平を欠いていると、答えた。

 これまで、私はパレスチナとイスラエルが半世紀を超えてこのような関係にあったことを知らなかった。これを機に、外国人との交流を進める上で、その国の歴史について学ぶ必要のあることを痛感した。

著者

内山 洋一

北海道大学名誉教授・北海道医療大学客員教授
(うちやま・よういち)

内山洋一 (うちやま・よういち)

1934年生まれ。1958年東京医科歯科大学歯学部卒業。7月同大学歯学部歯科補綴学教室助手。1964年同講座講師。1967年東北大学歯学部歯科補綴学第一講座助教授。1971年北海道大学歯学部歯科補綴学第二講座教授。1997年同大学名誉教授。同年北海道医療大学客員教授のほか多くの大学・講座で教鞭を取り現在に至る。また日本補綴歯科学会をはじめ日本医用歯科機器学会、日本接着歯学会、日本歯科審美学会、日本顎顔面補綴学会、日本顎関節学会などで会長、理事、評議員などを務める。近年の研究テーマは「歯科医療の質的向上と省力化・システム化、(CAD/CAMシステムの臨床応用)」。趣味は、ライカ等のカメラいじりである。