“ノイズ”の除去
蝋管レコードは、前回紹介したように音の変化を溝の深さで表現していた。したがって、蝋管レコードは、溝の損傷や、表面に付着した異物などが“ノイズ”の主な発生源となっているものと考えられた。
この借り出した蝋管レコードの大部分は、長年放置されてあったためと思われる表面の汚れが認められた。
最初、表面に付着した汚れは“カビ”のようなものと考えられ、重要文化財などを清掃する専門家に委託することも考えられたが、よく調べてみると、“カビ”のように見えたものは、蝋管の原料であるカルナバ蝋の成分が結晶化して表面に析出したものであることが判明し、清掃はあきらめざるを得なかった。
もう一つの、“ノイズ”除去について、蝋管より採取した音声周波数を主体とした信号を分析し、“ノイズ”に相当する周波数帯域を電気的なフィルターを用いて除去する方法も検討された。しかし、“ノイズ”に相当する周波数帯が音声周波数帯にも含まれているため、音声信号に与える影響が大きく、これも実行できなかった。
言語の解析に必要な「ネイティブ」の力
このような紆余曲折があって、蝋管レコードに録音されていた音声と思われる信号が、新たに開発されたレーザ光線による読み取り方式も使用して磁気テープに収録された。
この蝋管レコードに録音されていた音声信号が磁気テープに収録された時点で、北海道大学に全国から「ピウスツキ録音蝋管研究」のメンバーが集合して音声を聴く会が持たれた。
会が始まると、とにかく聴きましょうということで、カセットテープに収録された音声とおぼしき音を全員で聴いた。その中で、かなりはっきりと判ったのは、日本人の男性の謡であった。どのような立場の方か不明であるが、「これから謡を謡います」と言う言葉は明瞭に聞き取れた。しかし、その他の“ユーカラ”などと思われる音はノイズの背景の中から人の声らしきものが聞こえてくるような感じで、専門家の方々も内容の理解については殆どお手上げ状態の様子だった。そこに、すこし遅れてメンバーの一人である萱野 茂 氏(アイヌ民族として、日本のアイヌ文化の研究者であり、1994年から1998年まで参議院議員を務める)が来られ、再度、録音テープを聴くことにした。録音テープが再び回り出すと、驚くべきことに、その具体的な内容が萱野氏によって大部分が解明された。
研究者たちが驚いて、判明した理由について質問すると、萱野氏は「皆さんが例えば海外に出掛け、雑踏する空港ロビーの中などで日本語が聞こえてくれば殆ど理解できますでしょう。それは、頭の中で言葉をつないで聴いているからで、私も子供の頃に祖母の膝に抱かれて聴いたアイヌ語やユーカラのメロディーをつないで、聴いているのですよ」と言われた。
そこで、これ以上の解析は、現存されている樺太アイヌの人たちに直接聴いて貰うことが急務だ、ということになり、研究者が分担して全道の老人施設などを訪問し、聞き取り調査をすることになった。