請負と準委任

No.115

阿部公房の娘と遊び、武者小路実篤の自宅の池で、ヒゴイ・マゴイ釣りに興じ、実篤にカボチャtestとナスを投げつけられ育った思いでの地、武蔵野を離れ、千葉に引っ越すことになったのは平成10年のことである。猫の額ほどの土地を購入し、女房と設計士が数ヶ月かけて何度も何度も設計し、使う材料を吟味し、扉や窓はカナダとスウェーデンから安く個人輸入し、金額の交渉を行い……それはそれは入念な打ち合わせのもと、地鎮祭、工事開始となった。

 二階の壁に木を貼り付けている大工さんに、
「加藤さん(仮名)、そこ釘出てない?」
「お、大丈夫だ、1本くらい……」どうみても十数本が出ていた。全部打ち終わってまた聞いた。
「加藤さん、その隙間はどうするの?」
「夏涼しいぞ」
「え、雨は……」
「漏るな……」。
一階に降りてきて、床に横たわる角柱があった。
「加藤さん、ここに支柱があるはずだけど……」
「お、忘れてた……」。
家を建ててくれた大工の加藤さんとのやり取りである。加藤さんは60歳に近いベテランの大工だが、設計図など見ることなく、感にたより家を作る職人であった。結果として、常に状況をみながら色々文句をいいながらであったものの、今は7年目をむかえ、ある程度満足いく家となった。多少の問題はあるが……。

「先生、前歯の横に穴があいていて、お湯がしみるんですが……」
「いつからですか?」
「3日前からかな?」
「虫歯が歯の神経までいっています。神経を取って、代わりのものをつめ、差し歯にすれば大丈夫ですよ……」
「あー、よかった。痛くないようにお願いします」
「保険にしますか?自費にしますか?自費だと○万円ですね」
すると患者は
「この金歯ですが……」
と後生大事に小物入れに入れて持っていた金属冠をみせた。
「2年前位にはずれてしまいまして持っているのですが使えますか?」
「使えませんね」
「そうですか。保険でも白くできますか?」
「もちろんできますよ。きれいに作りますよ。でもプラスチックですから、あんまり……」
「長く持たないということですか?」
「そういうわけでは……」
「じゃ、保険でお願いします」
いとも簡単な、5分ほどの契約である。

 両者は全く違う内容なのに、双方とも結果を期待した請け負い契約のような錯覚を受ける。医療は準委任契約、つまり患者の病気を治療して機能回復を行う契約である。しかし、結果を重視するが故、歯科医は設計士でもあるはずなのに、インフォームドコンセントが不十分なまま、大工的要素が強くなりがちである。コンピュータシミュレーションにより、治療後はこうなりますというソフトを使い、患者も、その美しさを信じ治療を始める。あたかも白亜の殿堂を期待するかのように……。しかし、結果が良くないと訴訟にもなりかねない。治療はちゃんとするが、治療させることを当初から請け負ったわけではないのに……。

著者

井上 孝

東京歯科大学臨床検査学研究室・教授
(いのうえ・たかし)

井上 孝(いのうえ・たかし)

1953年生まれ。1978年東京歯科大学卒業。2001年東京歯科大学教授。幼少時代を武者小路実篤、阿部公房などの住む武蔵野の地で過ごし文学に目覚め、単著として『なるほど』シリーズを執筆。大学卒業後母校病理学教室に勤務し、毎日病理解剖に明け暮れ(認定病理解剖医)、“研究は臨床のエヴィデンスを作る”をモットーにしている。