No.122

no122“井上先生、井上先生、井上先生…”頭の奥のほうで微かに、自分を呼ぶ声が聞こえる。会議中に他のことに没頭していたり、ボーッとしていると、議長はよくその人間に問いかける。隣の教授が腕をゆすって教えてくれる。“え、何ですか?”と言う私に、その教授は議長のほうを目で示す。“井上先生、ご意見を…”と怖い顔をした議長。

 会議は、出席することに意義がある場合が多い。ある人は“きょうは、会議が3つもあってね”と自分の忙しさを主張する。しかし、会議中はあたかも書類に目を通しているかのように、匠の技で仮眠を取る。そして、せっかく会議が終わろうとしているときに目を覚まし“さきほどの件ですが…?”と会議の内容を確認したり、同じことを繰り返し自分をアピールするために、終了を遅らせる。全員が“またか…”という顔をする。その人は教室に戻ると“アー、今日は疲れた”などと教室員に自分の存在と忙しさを誇示するに違いない。

 さて、学会も一つの会議である。学会はもちろん、アピールの場である。まずは、自己アピールである。「俺はここにいる、この学会に参加してるぞ」というアピールである。“○○大学の○○です。大変素晴らしいご発表をありがとうございます。私の研究室でも、○年前に同じような実験をしまして…”。他の人が質問したくてウズウズしているなか、質問時間をいっぱいに使う。質問の順番を待っていた人はあきらめ顔で自分の席に戻っていく。こんな人は、学会が終わり、職場に帰れば、“きょうは、こんな質問をして、困らせてやった…”などと自分を誇示するに違いない。

 つぎは、私がよくやるアピールである。いや、私だけのアピールかもしれない。そんな学会は、人に頼まれて、出席しなくてはならない学会である。聞きたい発表などあるはずもない、いやいや出席するのである。そんなときは休み時間を見計らって、一番前の通路を、あたかも人を探しているかのようにキョロキョロしながら牛歩し、“自分はいるぞ、出席しているぞ、人を探しているぞ!”アピールをする。もしも、知っている人がいて、声でもかけてくれたら最高である。自分のアピールが終われば、本当に学会を聞きたいと思っている後輩を捕まえ、さっそく地元の地酒を飲みに行く。“太陽が出ているときに飲む酒は最高だな…”とか言いながら。後日、“先生を学会場でお見かけしたのですが、お話しできなくて…”とメールがくればアピールは完璧である。学会が終わり、職場に帰り、“学会はどうでした”などと聞かれれば、“うん、よかったよ、○○県は、○○が美味しいね”などとしか言えず、学会の内容は言えるはずもない。

 講義も一つの会議かもしれない。教師は、いかに自分の講義が素晴らしいかに酔いしれる。学生達は、我々が会議で抱くような、不平不満を持っているのも知らずに。しかし、私は寝ている学生、他の内職をしている学生、出席だけとって堂々と出ていく学生を叱ることはできない…。

著者

井上 孝

東京歯科大学臨床検査学研究室・教授
(いのうえ・たかし)

井上 孝(いのうえ・たかし)

1953年生まれ。1978年東京歯科大学卒業。2001年東京歯科大学教授。幼少時代を武者小路実篤、阿部公房などの住む武蔵野の地で過ごし文学に目覚め、単著として『なるほど』シリーズを執筆。大学卒業後母校病理学教室に勤務し、毎日病理解剖に明け暮れ(認定病理解剖医)、“研究は臨床のエヴィデンスを作る”をモットーにしている。