歯科医とカイラス巡礼(3)

No.109, (2004年5月発行)
鳥葬場

ラサ郊外にある鳥葬場。チベットは“鳥葬の国”の代名詞でもある。この巨大な鳥葬台は、仏陀生誕の国、インドから飛来したと信じられ、仏教徒は巡礼の途中、気軽に鳥葬場を訪ねる。現場体験を通して、test「輪廻転生」の死生観を確固としたものにしてゆく。 (寺田周明氏撮影)

 私がチベットのカイラスへ行こうと思ったのも、きっとSPIRITUALな体験が出来るだろうと思ったからであった。

 標高5000mの巡礼路をやっとの思いで歩き倒れるようにしてたどり着いた峠でカイラス山を見上げたとき、まさに霊山だと思った。山全体に霊気が漂っているように感じた。

 あっと声を発して、あとは声が出なくなるようなSPIRITUALな体験は、現場へ行った者だけが味わう心身一如の体験といえる。

 そんな神秘的な体験を軽んじて、科学的知識に偏重しているのが今日の傾向のようである。

 WHO(世界保健機構)はその憲章前文に健康の定義を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」としてきた。だが、1998年のWHOの理事会で「健康」の定義の改定案が検討されたという。その案文は
Health is a <dynamic> state of complete physical mental <spiritual> and social well-being and not merely the absence of disease or Infirmity
健康の定義にDYNAMICとSPIRITUALを入れようというのであるDYNAMICは健康と疾病は別個のものでなく連続したものであるとする考えからである。

 翌年総会に提出され先送りとなったが、SPIRITUALを健康の定義に加えることが検討されたというニュースを聞いたとき、私はうれしくなった。そして「霊性に目覚めなければ、宗教はわからない」と「日本的霊性」に書き残した鈴木大拙師の言葉を思い出した。

 霊性に目覚めなければ宗教はわからないということは、知では宗教はわからないといっているのである。道元が「以心伝心」を立教の根本姿勢としたのも心身一如の現場を重視したからである。眼や耳や鼻や舌や皮膚を通して入ってくる五感での認識を無視しては「色即是空・空即是色」も成り立たないのである。

 五感での認識は現場に立たない限り感得できない。

 ましてSPIRITUALITYなどという神秘的なものは現場に立って始めて感得できるものである。そしてそれはまさしくホリスティックな世界である。

 近代知の欠陥は五感での認識を重要視しないために観念に陥りやすい。そういう意味でホリスティック医学が提唱され、健康の定義にSPIRITUALが加えられることは当然のことのように思える。

「現場に立つということは大切ですよね」
SPIRITUALな感動から我に返って私は言った。
「歯医者も、現場での人と病気の診断、個別対応がすべてだ。パターン化された治し法などない。人間の数だけの治療法があるから、ヤブ医の逃げ道もその辺にある」
寺田さんはにやっと笑って、白く光るヒマラヤの山並みを見遣っていた。

青木 新門(あおき・しんもん)
詩人・作家

1937年富山県生まれ。早稲田大学中退後、富山県で飲食店を経営する傍ら文学を志す。
1973年冠婚葬祭会社に入社。1993年葬式の現場での体験を「納棺夫日記」として著しベストセラーとなり全国的に注目される。
現在 著述ならびに講演活動。日本文芸家協会会員。
著書に「納棺夫日記」小説「柿の炎」随筆集「木漏れ日の風景」詩集「雪道」山折哲雄氏らとの共著「死をめぐる三つの話」など。
なお、「納棺夫日記」は2002年11月アメリカで「Coffinman」と題されて英訳出版され、好評。

 

著者

青木 新門

詩人・作家
(あおき・しんもん)

青木 新門(あおき・しんもん)

詩人・作家

1937年富山県生まれ。早稲田大学中退後、富山県で飲食店を経営する傍ら文学を志す。

1973年冠婚葬祭会社に入社。1993年葬式の現場での体験を「納棺夫日記」として著しベストセラーとなり全国的に注目される。

現在 著述ならびに講演活動。日本文芸家協会会員。

著書に「納棺夫日記」小説「柿の炎」随筆集「木漏れ日の風景」詩集「雪道」山折哲雄氏らとの共著「死をめぐる三つの話」など。

なお、「納棺夫日記」は2002年11月アメリカで「Coffinman」と題されて英訳出版され、好評。