No.118

高校時代「タカシ、いっぱい飲め」。「え、高校生だよ」「男は酒くらい飲まなきゃ駄目だ」。test父親の言葉で初めて酒を飲み、初めてぶっ倒れた。自宅近くの、それはそれは汚い居酒屋で。今、卒寿を迎えようという父は会うたびに言う。「タカシ、酒は上手に飲め。酒に飲まれるな。」と未だに高校生のときに飲ませたことを後悔しているようだ。もちろん私も自分の子供が高校生のときに酒を飲ませた。息子はへらへらして、わけの分からない歌を歌いながらやはりぶっ倒れた。

 大学に入り、多くの友人ができた。「井上、飲んだ分だけビールがションベンになるって言うけど本当だろうか?」「よし、やってみよう…」と、ビールを2ダースとジョウゴを買って友人の家に行った。そして飲み始め、小便を催すとビール瓶へ戻した。結果:飲んだ量より多い…。

 また、その友達が、「井上、井上…」と目を輝かせ「日本酒のブレンド、1杯100円という店をみつけた…」とそれは嬉しそうに駆け寄ってきた。ブレンドとは人が飲み残した日本酒を三升は入ろうかという、大きな大きなヤカンに注ぎ足していったものである。もちろん味は日によって変わった。多くは安い二級酒のブレンドだが、稀に銘酒の残りが入ると、その店のオヤジさんが「井上君、今日のブレンドは上手いぞ…。越の寒梅が入ってるぞ…。」とかいってブレンドを勧めた。そのブレンドをこよなく愛した我々は、ある日、大きなヤカンをすべて飲み干した。当然記憶のない状態に陥り、二人が目覚めた時は公道の上であった。足早に我々の横を通り過ぎるサラリーマンの冷たい視線だけが記憶に定かである。もちろん財布、ベルト、時計を剥ぎ取られていた。ブレンドはやめたほうがいい…。

 助教授になった頃、多くの大学院生が毎日私の帰りを待ち伏せし、飲みに行く日が続いた。どんなに、彼らをまいて逃げようと試みても必ず、連れて行かれた。捕まったからには仕方ないと割り切り、若者といっしょに歌い、騒ぎ、踊りベロベロに酔っ払い、前を見ず歩いて電信柱に激突し、メガネは壊れ、コメカミから血を流しながら帰ったことも…。想像を絶する痛さであることだけは覚えている。何しろ電信柱で叩かれるイメージなのだから。

 教授になった当初、気を遣いながら教室員に「飲みに行こうか…、嫌でなければ」と控えめに言うと、「車なので…」と何気に断られ、50歳になった今は「すみません。今日は○○があるので、失礼します」と気持ちよいほどきれいに断られる。なにが、どう変わったのか、私には良く分からない。でも今の研究室の大学院生は、帰宅してチャットなるコンピュータによる他人との対話を画面上で行うことをこよなく愛すようになったそうである。そして、大学にくると夜のチャットに備えて昼寝をする。そんな若者達にオスキー(OSCE)と称する対話術を教える教育でよいのだろうか。一緒に酒を飲み、ネクタイを頭に巻いて騒ぎ、次の日は頭痛で教室の机に伏しているほうが、そして飲んだ量と出る量の不思議を夜な夜な話し、汚い店でブレンドを飲み明かした頃のほうが今の若者より随分人間らしい歯科医師になれるのではと思うのは、私だけであろうか。

著者

井上 孝

東京歯科大学臨床検査学研究室・教授
(いのうえ・たかし)

井上 孝(いのうえ・たかし)

1953年生まれ。1978年東京歯科大学卒業。2001年東京歯科大学教授。幼少時代を武者小路実篤、阿部公房などの住む武蔵野の地で過ごし文学に目覚め、単著として『なるほど』シリーズを執筆。大学卒業後母校病理学教室に勤務し、毎日病理解剖に明け暮れ(認定病理解剖医)、“研究は臨床のエヴィデンスを作る”をモットーにしている。