入道雲が湧く真っ青な空の下、パラソルと脚立をたて、高原を渡る緑の風に吹かれて、その雄大な景色をキャンバスに映そうと挑む、愛らしい少女のイラスト。別バージョンには、同じく夏の高い空に飛ぶゼロ戦の美しいフォルムを、希望に満ちた表情で見上げる、前途有望な青年技師。
「生きねば。」のキャッチフレーズとともに、今年の夏、大きな話題を呼んだ宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」。皆様は、もうご覧になりましたか?
ジブリ映画の「風立ちぬ」では、航空機の設計技師・堀越二郎の半生を中心に進むので、ここではダブルキャストの主人公、小説家・堀辰雄の話をしましょう。
ご存知の通り、堀辰雄は「風立ちぬ」や「菜穂子」で知られる昭和の人気作家です。日露戦争が開戦した1904年、東京に生まれ、東京帝国大学を卒業。26歳で文壇にデビュー。一芥川龍之介、室生犀星、中野重治、小林秀雄らと交流し、独特の美意識で執筆活動を続けますが、終戦後は持病の肺結核が悪化して、昭和34年、49歳で亡くなりました。
昭和12年に刊行した「風立ちぬ」は、結核の療養のため軽井沢に訪れた堀辰雄が、運命の恋人に出会い、翌年、八ヶ岳のサナトリウムで、より重い結核だった彼女の最期を看取るまでの1年半を綴ったレクイエムです。
当時、肺結核は不治の流行病。激しい肺出血と喀血が引き起こす窒息死によって、24歳で永眠した薄幸の美少女は、矢野綾子という実在の女性でした。
映画のキーワードは「生きねば。」ですが、小説の方は「Le vent se leve, il faut tenter de vivre.」。冒頭に出て来るポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」という詩の一節です。
直訳すると、「一陣の風が起きた、(あなたは)生きてみなければならない」。これを堀辰雄は「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳し、美しくも儚い悲恋の物語と相まって、一世を風靡しました。
堀辰雄の「やも」という、生きることへのそこはかとない疑問は、戦争、震災、重篤な感染症など常に「死」が身近に感じられた社会に生きる人の偽らざる感慨なのかもしれません。
今のところ、映画の「風立ちぬ」は封切り以来、ずっと興行成績1位にも関わらず、その評価は賛否両論のようです。
正直言って、私も疑問に思うことが多かった気がしますが、一人ひとり認識が違うテーマの作品を興業し、社会に問えることや、観た人が自由に意見を述べ合えること自体が、軍国主義の時代にはなかった「表現の自由」なのでしょう。
若い人たちが「生きたい。」と素直に思える社会であることを、心から望みます。
コラムニスト 鈴木 百合子
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