道端の曼珠沙華が、秋の夕陽に輝いていました。
陰暦10月は神無月(かんなづき)。その由来については諸説ありますが、有名なのは、日本各地の神様が出雲大社に集まって会議をするからこの一カ月は「神様の無い月」、出雲地方だけは「神様の在る月=神在月・神有月(かみありづき)」というお話。
出雲大社はこの5月に60年ぶりの式年遷宮がすんだばかりですから何もかも真新しくて、全国から訪れる神様もさぞ喜ばれることでしょう。
もっとも、「神無月」の「無」は否定でなく連帯助詞の「の」で、神を祀る月だから本来の意味は「神の月」。日本全国の神様が出雲大社に集まって縁結びの相談をするというのは、中世に出雲大社の「御師(おんし)」と呼ばれる神社の広報マンが広めた説のようです。
今年は、伊勢神宮の第62回式年遷宮も重なりました。新しい正殿に御神体を遷すため、正殿はもちろん、すべての社殿から橋までを新調します。
式年遷宮を行うのは、すべてを新しくすることで神が若返り、より強い力で保護してくれると信じて祈る行為だと考えられているから。これは「常若(とこわか)」という理念で、古代の人々は神さまも万物も、命が親から子へと引き継がれていくように、生まれ変わると考えました。
伊勢神宮の遷宮は20年に一度で、五十鈴川で拾った白い玉石を奉納し、正殿のある門の中まで入って丁寧に並べる「お白石持」など7年越しのさまざまな行事が終了し、10月2日に内宮(皇太神宮)、5日に外宮(豊受大神宮)のご神体を新宮に移す行事が執り行なわれると遷宮が完成します。
伊勢神宮は全国で一番大きい由緒ある神社です。正式名称を「神宮」といい、創建の年は不明ですが、第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690年)。平安から鎌倉の時代には、斎内親王(いつきのひめみこ)と呼ばれる未婚の内親王が巫女を務めました。
戦乱の時代には神宮の式年遷宮も100年以上中断しましたが、各地に散らばった神宮の御師の努力で、江戸時代には「お伊勢参り」が大人気になりました。1771年4月~7月は200万人、1830年3月~8月は427万6500人という記録がありますから、当時の日本の人口が約3,000万人だったと考えると、凄まじいブームですね。
無事にお伊勢参りができるのは神様と道中の人々のお世話のおかげ。お伊勢参りは「おかげ参り」とも呼ばれました。「かげ」とは「蔭」もしくは「影」で、神仏や偉大な人の後ろにいてその庇護を受けること。
実りの秋に、私たちの身体を生かし日常を守ってくれている、この目に見えない不思議な力に感謝するのが、本来の「神の月」の意味だったのかもしれません。
コラムニスト 鈴木 百合子
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