里山や縁台をやわらかく包む、ポカポカと優しいお日さま。
空気が澄んで冬の寒さには少し間がある晩秋に、不意にあらわれる穏やかで暖かな「小春日和(こはるびより)」は、この季節の贈り物です。
「小春日和」の由来は、晩秋から初冬にかかる旧暦10月の異称が「小春」だから。お隣の中国でも、こういうお天気を「小春の陽気」と呼ぶそうです。
緯度の高い国では春より夏の方が過ごしやすいせいか、アメリカやカナダの人たちは、小春日和を「インディアンの夏」、ドイツの人は「老婦人の夏」、ロシアの人は「女の夏」と呼ぶそうです。
さて、古代中国には、人生を四季にあてはめる四元論という考え方がありました。四元論の四色は、青、朱、白、玄。
人生の始まりは青い春で「青春」。青が若さを表し、また春は四季の始まりでもあります。働き盛りは真っ赤な夏で、「朱夏」。人生の実りの秋は白い「白秋」。晩年は漆黒の冬を表す「玄冬」です。鍛え上げられた「玄人(くろうと)」の「玄」ですね。
日本でも、聖路加国際病院の日野原重明先生がよく人生を四季に例えられます。
「秋も終わりになると、木の葉が枯れ、枯れ葉が地面に落ち、それを霜が覆い、その上に雪が降り積みますが、その葉の水分と栄養分は木が根から吸収し、幹に取り込み、また春になると青い若葉を生じさせます。
『いよいよ私の人生も秋だ』と言って人生が終わるわけではないということなのです。」
そういえば、以前、日野原先生が90歳のときに執筆され、120万部ものベストセラーになった「生きかた上手」の裏話をされたことがありました。
このとき、先生ご自身が最初に考えた題名は「死にかた上手」。これを当時の編集長が「生き方上手」に変更するよう、説得したのだそうです。
大らかな日野原先生は「死を考えるためには生を、生を考えるためには死を考えなくてはならないから、どちらのタイトルでも同じ」と、変更に応じられたそうですが、これこそが成熟した人の知恵。
もし、日野原先生が目下の者の反対意見に腹を立てるような人だったら、あの大ブームは起こらなかったかもしれません。
冬は成熟の季節。
いくつになっても謙虚な心を忘れずに、後進の幸せを願う日野原重明先生のような美しい年輪を重ねていきたいものですね。
コラムニスト 鈴木 百合子
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