春は再会の季節


image-20220510112813-1桜の開花宣言が、各地に届いています。
  わが家の桜の花はまだ蕾ですが、枝垂れの紅梅や黄色の水仙、青紫のムスカリ、色とりどりのクロッカスなどが次々に花開き、木陰でひっそりと咲く沈丁花の香りも馥郁と漂っています。

  そんな美しい季節なのについ心が沈むのは、大切な人たちとの別れが近づいているから。新入学や就職、転勤、定年退職などを共に喜ばなくてはと思いつつ、温かい笑顔や懐かしい思い出ばかりが浮かびます。

  とはいえ、大切な人が戻るのを待ち望んでいる人の嬉しさは、格別のもの。
  奈良時代、大伴家持は「天平勝宝二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」と題して、こんな歌を詠んでいます。

春の苑 紅(くれない)匂う桃の花 下照る道に出で立つ乙女
(「万葉集」巻19-4139)

  丹誠こめて育てられた新緑の庭にほころぶ、輝くように美しい濃い紅の桃の花。そこに現われた、桃の精か春の女神のようなこの乙女は、家持の正妻である坂上大娘(おおいらつめ)といわれています。

  家持は天平18年(西暦746年)、29歳で越中守に任ぜられ、今の富山県に単身で赴任しました。
  国司といえば聞こえはいいけれど、実質的な統一国家として歩み出したばかりの奈良時代のこと。大和朝廷以来の名門貴族出身の彼にとっては、慣れ親しんだ平城京とは勝手の違う気苦労の絶えない職場だったに違いありません。

  そんな夫の胸中を察した大娘は、その翌年、険しい旅を乗り越えて夫の元にやって来ました。
  都風の華やかな衣装に身を包んだ、従妹で一流の歌人でもある美しい妻は、家持が任地で憧れ続けた都の文化そのもの。こうして絶対の味方を得た家持は歌人としても新しい境地を開き、越中時代の5年間に生涯の傑作をたくさん残しています。

  ところで、大伴家持は孝謙天皇や藤原不比等と同じ時代に生まれ、謀略渦巻く天平の宮廷の権力争いをしたたかに生き延びて中納言まで上りつめた官僚でもあります。

  家持の越中守としての業績は不明ですが、もし彼が平城京の中だけで暮らしていて、北陸の雄大な景色や郷土に根付いた人々の文化の重さを知らずにいたら、おそらくもっと傲慢な人になり、万葉集の真髄となる防人や貧しい人たちの歌は収録されなかったでしょう。
  人は出会いと別れがあるからこそ、いくつになっても成長できるのかもしれません。

  奈良時代の人にとって、桃は魔除けでもありました。
  越中の春の苑に現われた一途で可憐な妻を見守る家持の眼差しは、彼女がまだ少女の頃に「あなたが撫子の花だったらいいのに」と詠んだときより、さらに深く優しい気がします。

 

コラムニスト 鈴木 百合子

 

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